検索
カテゴリ
RosslynVA/Journal TokiNoKuni/Journal WashingtonDC/CityInf PleasureTB/T-Backer LuciaBN/NaggingBunny Route66/GarageBandit LenoxMA/Writer HollywoodCA/iMovie WPExpDC/NewsReport LangleyVA/CIAmystery MobileAU/Wanderer TokyoJPN/at Home TokyoJPN/Walker USA/Traveler Japan/Traveler MyEden/AppleProducts World/Traveler RoswellNM/Abducted PromisedLand/Shocker Christmas Countdown Girl, too untamable! Navigator 最新のトラックバック
最新の記事
以前の記事
2021年 07月 2017年 04月 2016年 09月 2014年 10月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 08月 2013年 01月 2012年 12月 more... お知らせ・覚書き
☆いえお祭りブログです☆ 今でもメンバーですYO! Thanks Exblog News TB企画で創作文なども 書いています Exclusively for Executive Bloggers at Exblogs etc. (AKA White House) ただのカラオケ部屋 という名の喋り部屋 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ よはらい君なの ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ My Link Manager ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ フォロー中のブログ
山村幸広の一日、一グラム 晴れ、ときたまsnow しろねこあおい 世界キリスト教情報 Feeling...感じ... 毎日が送りバント タメ息を袋に集める nest nest 今日も天気がいい ブログ?ぶろぐ? 風塵 〆 雷迅 [Jem... 夢見るかえる SOFIA_ SS 近海マグロに焼きをいれる お前の罪を数えろ! MS.POKERFACE 後悔 先に立たず 33χ 世祓い 徒然ならぬ人生 別冊aradas 【fr... はにぶろ ごはんですよ。 sudigital af... nyan POPO Mein Tagebuch ネコは「ぱるぷんて」をと... 激短ミステリィ カツオくんは永遠の小学生... 吾輩は猫である? ~ニャ... ネットは新聞を殺すのかblog よかった探し。 Jub Up Family ♪♪やまねこの館♪♪ 2+2=5 はい こちらサポセン。 もぐもぐイタリア! 犬のいる暮らし、プライスレス。 NECO_no_Kool... HB TRIPPYの冒険 ブロガー互助連盟「ヨコの会」 やみくもバナナメロン 自称ダンディ文豪(自称)... 上清水一三六の飛躍への暗躍 世界今日こう Everything i... ピーママときたま日記 流れゆくままに 世界が嫉妬する寺へ・・・ ふぇいく。 犬好きで大雑把な日常 ダーサの遊園地 One lazy day ささコボあぶく。 今日も足が臭い 移動動物園 ハロー!妄ニング。 あかつきの星 海の星 優美のオースティン便り 99%の冗談と1%の真実 中で出すのが愛なのか 星の雨 まだ名前はありません。 イラスト置き場。 サイレントウオーターの謎 Bobby's Barで... 海に降る雪 再翻訳ブログ lunatic tRip Footprints i... まっしろでまんまる。 新潟ミシュラーメン about ・ぶん ばーさんがじーさんに作る食卓 小笠原ちあきのライブなライフ ポンポコ研究所 (*^。^*)DEBU ... 038Ole! 志木と四季 JLMM HOT NEWS またあした ニイガタ越後「旬の撮影地」 バイリンガルとやらを育て... メルごんの散歩道 RC17 その他のジャンル
|
2007年 04月 27日
ちょっと専門的な話だけれど、「史料」という言葉がある。「歴史資料」と呼ばれたりもするが、ただの「資料」とは意味が異なる。
政治家であれ一般の民衆であれ、ともかく歴史の主人公や当事者となる誰かが残したもので、多くは紙に書き付けたり印刷したものだけれど、時代によっては録音であったり、録画であったりもする。 歴史に限らず多くの社会科学系の分野でこのように、研究対象の主人公本人、もしくは事件の直接の目撃者・証言者が残したものを「一次資料」と呼ぶ。これに対して、誰かがその内容を研究して説明したものは、「二次資料」と呼ばれる。主人公や当事者本人ではなく、それを研究した人が書いたものだからである。 もちろん研究対象は人(あるいは個人)とは限らないけれど、基本的にはどんな仕事や事件も人間がなしたという意味において、そこに関わった人々を主人公と呼ぶならば、おそらくこの説明で大雑把だけれどそれほど的外れではない。 とりわけ歴史の世界では、この一次資料のことを「資料」ではなく、「史料」と区別して呼んでいる。 さて、4月25日のアサヒ・コムにこんな記事があった。 歴史の「音」DB化 東条英機挨拶 落語名人芸 これはとても魅力的なプロジェクト。 音の史料を残そうという動きである。 文字では伝わりきらない政治家のカリスマや、伝統芸能の名人芸などが、より迫力を持って伝わる可能性には心が躍る。当時それを聞いた人々と同じ感覚を共有できるかも知れないという興奮。文字から歴史をたどれば「何故」がわからないことでも、声や音を通してその時代の雰囲気が少しでも伝わることで理解がしやすくなることもある。 どうしてこんなことが気になるかというと、ひとつには、今、はまっているPodcastがある。 Michigan State Universityが配信している"American Presidents"という番組は、19世紀末のベンジャミン・ハリソン大統領から後の全ての大統領のスピーチをそれぞれ1本・2分程度ずつ紹介しており、この音声から、これまで写真でしか知らなかった大統領の人柄や、それに応じる民衆の様子まで、手に取るようにわかることに驚きを感じているからだ。 配信そのものは昨年1月に終了しているが、私は先月辺りから順番にのんびりと聞いている。 これまで余り関心のなかったウィリアム・ハワード・タフト大統領(任期:1909-1913年)の"Abolishment of War throughout the World"(世界中における戦争放棄)という2分強のスピーチが今のお気に入り。「何者?」と思われると思うが、もしかしたら日本の歴史の教科書で「ドル外交」という言葉を覚えている方はいらっしゃるかも知れない。その主人公である。 この人物、元はといえばセオドア・ローズヴェルト大統領(任期:1901-1909年)の肝いりでその政権下では、戦争省長官を務めていた。本人は司法畑出身で、最高裁長官職の方が魅力的だったらしいが、ローズヴェルトはアメリカが初めて海外に領有したフィリピンやパナマ運河の管理を彼に任せた。しかし、タフト自身は力より経済による平和を希求する人物だった。 彼の父親も、ユリシーズ・グラント(任期:1869-1877年)大統領政権下の戦争省長官だったが、1850年代に生まれたタフトにとって、おそらくは成長期にあたる南北戦争後の時代、経済的にも精神的にも一向に戦争から回復できないアメリカ南部の状況を見つめていたことも、思考に影響を与えていることは間違いない。「戦争は、世界を何らかの形で前進させることもあるだろうし、他に手段のない場合に西欧文明における何らかの事態の改善を導くこともあるし、国家にとって英雄的な行動を生み出すことがあるかも知れない。しかし、残虐性、腐敗、モラルの退廃などの負の要素を導く可能性が余りに大きい。戦争は放棄すべきである。」 数あるタフト大統領の演説から、このスピーチを配信に選ぶ図書館側の恣意は感じ取るべきだ。結局、アメリカはタフトの思う方向には進んでいない。それでも、今私たちのこの時代にこの演説を聴くのは、私にはちょっと小気味良い。 「ドル外交」大いに結構。 やるなら徹底的にやってみて欲しい。 恥じることなどないのだ。 外交というのは、あらゆる方向にチャンネルを開くべきで、お金で解決することが恥ずかしいような分野ではない。と、私は個人的には思っている。それが相手国の状況の平和的進展に何らかでも利するなら結構なことだ。武力以外のあらゆる外交の可能性に想像力を働かせることほど、日本という国に必要な技量もないはずとも感じている。 蛇足だが、その意味で日本がロシアのエリツィン大統領の葬儀に駐ロ大使しか出さなかったセンスは頂けない。弔問外交というしたたかな側面も無論計算しなければいけないが、それ以前に、国際関係問題上、「エリツィン氏への弔意=共産主義国のソ連邦解体に貢献した人物に対する評価」である以上、「日本のエリツィン氏の業績(共産主義崩壊)への評価はその程度だった」と世界が日本を評価する。外交にはお金はかかるが、かけどころを誤ってはいけない。そんな程度の外交をやっていて、誰に「拉致問題解決に真剣に取り組んでいる」と説明するのか、よーーーく聞かせて欲しい。 と、散々脱線したけれど、要するに 「生声」はいい!(笑) (だいぶ後で追記:↑ものすごく興奮していたみたいですが、「生」じゃないですよね?笑) ところで、この "American Presidents"シリーズ。 グローバー・クリーヴランド大統領(任期:1885-1889年・1893-1897年)とウィリアム・マッキンリー大統領(任期:1897-1901年)で、突如音質が変わる。というか、外国人の私には、全く聞き取り不能だったのが、突如聞こえるようになった。19世紀末の録音技術の進展までも、一緒に楽しめるというオマケ付き。エジソン万歳! そんな訳で、アサヒ・コムの記事に紹介された「歴史の『音』DB化」は、素材が痛む前に少しでも早く進めてほしい。おそらくは、この"American Presidents"を配信した、Michigan State University Vincent Voice Libraryも、同じ目的で「歴史の『音』」の収集を進めてきたに違いない。そして日本での努力が、公共図書館や大学図書館などが購入しやすい媒体となって、一般に普及してくれたら言うことはない。 それでも専門家に言わせれば、完全な史料の保存ということほど難しい問題はないらしい。現在多くの史料館が、史料のデジタル化に躍起になっているが、結局のところデジタル化した史料を保存する媒体はHDやCD・DVDなどの磁気媒体であり、磁気による記録はいずれ失われる可能性を排除できない。そうなると、アナログでアナクロ極まりないが、書かれたものの保存に最も信頼が置ける選択肢が、「マイクロフィルム」や「マイクロフィッシュ」ということになるらしい。私はこれを暗い部屋に籠って読むのが苦手で仕方がないけれど、これが結局のところ、保存上一番確かだと言われれば仕方ない。 音や映像の保存は、できればメディアを一元化したいとどの機関もが思っているだろう。録音や撮影に使ったメディアは時代によって異なるのに、残された史料が貴重なため、それを再生できる機材の保存も必要になっている。博物館の裏側を見せて頂いたことがあるが、「こんなの何に使うの?」というような再生装置がごちゃまんと残されている。数少ない史料の再生のためだけに処分できない現状となっているらしい。 「史料」を残すとは、かくも大変な作業だということ。 「史料」繋がりで、翌4月26日に紹介されていたこんな記事も。 (宣伝記事ですが、重要性に変わりなし) そろそろ自分が「昭和と平成、どっちを長く生きている?」なんていう質問の答えが微妙な意味を持ち始めるお年頃(笑)。でもこれも必ず読まなければいけない、大事な大事な歴史の証言という、私はそういうお年頃なんである。(もう一度笑) - - - - - - - - - - "American Presidents"をお聞きになりたい方は Vincent Voice Library, Michigan State University: American Presidents of the 20th Centuryで大統領を選び、Real Audioでストリーミングを聞くか、MP3形式録音をダウンロード。 もしiTunesをお持ちでしたら、iTunes Music Store>Podcast>search word>American Presidentsでどうぞ。(登録しなければ、DLせずに聞くこともできます) 歴史の「音」DB化 東条英機のあいさつ、落語名人芸 2007年04月25日15時01分 東条英機首相のあいさつ、坪内逍遥の「ハムレット」朗読、はたまた義太夫節や落語の名人芸……。SP盤などに収録された音声や音楽を電子データにして保存する「歴史的音盤アーカイブ」事業に、日本レコード協会など6団体が乗り出す。27日に推進協議会を設立し、11年ごろをめどに実用化する計画だ。 SPは毎分78回転するレコードで、録音時間は数分程度と短く、天然樹脂が主原料で壊れやすいとされる。日本では大正〜昭和初期に旧日本コロムビアや旧ビクターなどがSPの録音を始めた。 伝統芸能やクラシック音楽、政治家の演説や講演もあり、大隈重信「憲政に於(お)ける世論の勢力」、松岡洋右「日独伊三国同盟に就いて」などの音声も残る。日本レコード協会の試算では6万点以上。レコード会社や全国の諸機関、収集家が所有しているが、散逸を防ぎ、網羅的な音声データベースを作るのが狙いだ。 計画では当面、レコード会社などの音盤やテープの音楽・音声をデジタル処理して保存する。一緒にジャケットや解説なども電子化し、インデックス機能を持たせるという。将来は全国の所有者にも協力を求める。 料金は未定だが、インターネットなどで利用を可能にする。年内にもサンプルを整え、ネット上で試行を始める考えだ。推進協議会は日本レコード協会のほか、日本放送協会、日本音楽著作権協会、日本芸能実演家団体協議会、日本伝統文化振興財団、NPO法人・映像産業振興機構で構成される。 - - - - - - - - - - 逝く昭和と天皇、克明に 卜部侍従32年間の日記刊行へ 2007年04月26日08時01分 晩年の昭和天皇と香淳皇后に仕え、代替わりの実務を仕切った故・卜部亮吾(うらべ・りょうご)侍従が32年間欠かさずつけていた日記を、朝日新聞社は本人から生前、託された。天皇が病に倒れて以降、皇居の奥でおきていた昭和最後の日々が克明に記されている。天皇の靖国神社参拝取りやめについては「A級戦犯合祀(ごうし)が御意に召さず」と記述。先の戦争への悔恨や、世情への気配りなど、天皇の人柄をしのばせる姿も随所に書きとめられており、昭和史の貴重な記録といえそうだ。 (写真挿入:故・卜部亮吾侍従の日記。宮中の動きや天皇、皇族方の言動が克明につづられている 同:噴火した伊豆大島で被災者らの見舞いを終え、高速船に乗り込む昭和天皇と卜部亮吾侍従=87年6月22日、東京都大島町の元町港で) 日記で詳細をきわめるのが、昭和天皇の闘病から逝去までの記述だ。 天皇が強い意欲を示していた戦後初の沖縄訪問は、体調の悪化で中止に追い込まれる。 87(昭和62)年9月14日、「手術にふみ切る線で沖縄もムリと判断。(略)ついに来るべきものがきたということだが暗雲たれこめうつうつとして楽しまず 今後の諸問題のことが頭をよぎる」。 腸のバイパス手術を受けた天皇は国事行為や公務への復帰に執念を燃やす。しかし、ブレーキをかける卜部侍従に「突然摂政にした方がよいのではと仰せ」(88年2月9日)。そんなことなら、天皇が重篤な場合などに立てられる摂政を決めたらどうか、といらだちをぶつけている。 88年9月の吐血以降の容体、肉親の悲しみも痛々しい。見舞った皇族から「助けてとかどうにかならないかの頻発でお気の毒の由 点滴の針も難しくなる」(11月3日)。天皇の意識が遠のいていく中、意識をはっきり保たせるために侍医団は血中アンモニアを減少させる薬剤を使用していた。「今朝は反応がかなりはっきりしてこられた由 とにかく摂政の話を消すためにも意識混濁の表現は禁句と」(同29日)。肉親への反応も徐々に鈍っていく。「常陸宮同妃御参 殿下おもうさま(お父さま)と呼びかけ わずかに眼お開きか」(12月17日) 翌89年1月7日、卜部侍従は、息を引き取った天皇の髪を整えひげをそる。「たんかにて御尊骸(そんがい)を御寝室からお居間にお移しする あまりに重いのに驚く」 靖国神社参拝取りやめの理由についても記述されている。 最後となった天皇の記者会見から数日後の88年4月28日。「お召しがあったので吹上へ 長官拝謁(はいえつ)のあと出たら靖国の戦犯合祀と中国の批判・奥野発言のこと」。「靖国」以降の文章には赤線が引かれている。 昭和天皇が靖国神社のA級戦犯合祀に不快感を吐露したとみられる富田朝彦宮内庁長官(当時)のメモも同じ日付。天皇は富田長官と前後して卜部侍従にも戦犯合祀問題を語っていたことになる。そして、卜部侍従は亡くなる直前、「靖国神社の御参拝をお取りやめになった経緯 直接的にはA級戦犯合祀が御意に召さず」(01年7月31日)と記している。 日記の随所にみられるのが、終戦記念日や原爆の日に律義に慎む天皇の姿だ。2・26事件の日もその一つだった。 事件から41年たった77(昭和52)年2月26日。天皇は意外な言葉を口にする。「御就寝前 治安は何もないかとのお尋ね」。天皇のトラウマの深さがうかがえる。 忍び寄る老いとの闘いも記録されている。75年2月17日、73歳の天皇は祈年祭の最中、賢所(かしこどころ)の中で2度倒れていた。その後の新嘗祭(にいなめさい)でも卜部侍従が天皇の体を支えており、高齢の天皇に祭祀がいかに過酷になったかがわかる。 このほか、77年7月、皇后が那須で腰椎(ようつい)骨折した際の御用邸内の様子、皇后が次第に心身の不調に陥るプロセスや天皇の心配ぶり、また石油危機では御料車の使用をためらい、行革が叫ばれた時には歴代最長寿の祝賀をやめさせるなど国民感情に気配りする天皇の姿も記録されている。 日記は「昭和天皇最後の側近・卜部亮吾侍従日記」全5巻として、5月以降朝日新聞社から順次刊行される。
by raphie
| 2007-04-27 14:04
| RosslynVA/Journal
|
ファン申請 |
||