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2007年 04月 28日
かつての美しい町並みはすっかり消え去った。 戦火の末、廃墟となったサラエボで 22日間、毎日正装して、チェロを演奏し続けた男がいた。 ここにはかつてチェリストが活動の場とした歌劇場があり ここで彼の隣人22人が亡くなった。 その虐殺の翌日、彼が演奏を始めた時には まだ狙撃兵の銃撃が続いていた。 「あなたは気は確かですか?」 取材にやってきたCNNのクルーが訊ねた。 「私に気が確かかどうか聞く前に サラエボを砲撃した人々に訊いたらどうですか」 男の演奏は人々を勇気づけ 静かな反戦の願いを人々の心にともし続けた。 男は戦火の中で亡くなった隣人のために 無報酬で葬儀の演奏をした。 葬儀が未だセルビア人勢力からの 攻撃対象とされていた時期だった。 「戦場のピアニスト」は映画のタイトルだが 「戦場のチェリスト」はこのように実在する。 彼の名がヴェドラン・スマイロヴィッチ(Vedran Smailovic)と知ったのは、 大変失礼なことに今日、今、この記事を書く直前のことである。 私にとってこの人物は、15年間ずっと 若きムスティスラフ・ロストロポーヴィッチだった。 このロストロポーヴィッチ本人の姿と重ねて サラエボのチェリストを見ていたのだと思う。 ロストロポーヴィッチさんがつい一ヶ月前、80歳を迎えたことも知っていた。 そして、今日 ロストロポーヴィッチさんが亡くなったことをニュースで知った。 2002年、ロストロポーヴィッチさんの親友の小澤征爾氏がボストン交響楽団を離れる夏、私は遊びに来てくれた両親を連れて、ニューヨークからレンタカーでマサチューセッツ州レノックスにあるタングルウッドに行った。ボストン交響楽団は、シーズンオフとなる夏の間ボストンの町を離れ、避暑地レノックスにあるタングルウッド野外音楽堂に活動の場を移す。蛇足だが、レノックスはアメリカの文豪達の避暑のための別荘が多くあり、20世紀初頭から知識人のサロンがそこここに点在したことでも知られている。 屋根のある内部にコンサートホールの舞台と客席 外の芝生でもピクニックをしながらコンサートを鑑賞できます その夏、私たちは小澤氏が長年つとめたボストン交響楽団音楽監督としての最後のコンサートを聴きに行った。当然そこにはロストロポーヴィッチさんの姿があった。若いミュージシャンもベテランミュージシャンも、それは贅沢な顔ぶれが一堂に会して、豪華で幸せなお祭りだった。私の聞き間違いでなければ、そして記憶違いでなければ、兄弟のように仲が良いと言われるふたりはお互いに「スラバさん」「セイジンスカ」と呼び合っていた。 日本の音楽番組で見るロストロポーヴィッチさんは、チェロを手にしていない時は大概小澤さんと一緒にカメラに収まっていて、人なつっこそうな優しそうなおじいちゃんという印象ばかりが記憶に残っている。 一旦チェロを弾き始めると、 その力強さは年齢による衰えなど微塵も感じさせなかった。 技術は言うまでもない天才肌で、彼のために作曲された現代音楽は170にも及ぶと言われる。20世紀にチェロのための楽曲が格段に増えたのは、まずはこの人の存在によると言っても過言ではない。細かい技巧も素晴らしいのだと思うが、私はこの人のどんな音量でも自由自在な表現力が凄いと素人ながらに思っていた。ともかく音量の豊かさは、他のミュージシャンを圧倒していたと思う。タングルウッドで聴く機会のあったロストロポーヴィッチさんの弾くドヴォルザークのチェロ協奏曲は、その意味でも美しい迫力に満ちた至福のひとときだった。 音楽家としての素晴らしさは、素人の私などが言葉を尽くしても語りきれるはずもない。 音楽家としての記憶と同時に、ロストロポーヴィッチさんの共産主義政権下での言論や表現の自由との戦いもまた印象深い。ノーベル文学賞受賞者で反無神論=反レーニン思想によって投獄されたアレクサンダー・ソルジェニーツィン氏をかくまっていたこと。ソ連水爆の父でありながらその後自らの良心に顧みて反体制派となった物理学者のアンドレイ・サハロフ博士を擁護したこと。そのような行動から、当局と対立。自らも政府から反体制派と見なされたことにより70年代に亡命を余儀なくされ、そしてアメリカ、ワシントンDCに暮らしていた78年にソ連国籍を剥奪されたこと。 旧ソ連南部のバクー(現在のアゼルバイジャン首都)で生まれたロストロポーヴィッチさんは、しかしロシアの歴史に翻弄されたというよりは、芸術を通して言論・表現の自由のために政治的な戦いを繰り広げ、最終的に静かな勝利を収めた好例だと思う。 1990年、ゴルバチョフ体制下で国籍を回復。 そして91年8月の旧ソ連クーデター未遂事件発生時には、祖国への思いに駆られて、ロシアの民主化を民衆と共に守るためにモスクワに駆けつけ、ロシアの国会議事堂や路上で出会うロシア人たちを励まし続けた。そして、つい数日前に亡くなったエリツィン氏と共にロシア共和国庁舎に立てこもり、軍部隊に包囲されながらもこれを守った。ユネスコ親善大使でもあり、人道支援に情熱を注ぎ、子供の医療改善を目指す財団も設立した。そのような具体的で積極的な活動や体験が、彼の音楽に深み、重み、厚みを与えていたことも、また確かだろう。 20世紀から世紀転換期の激動のロシアを舞台に、類い希な芸術的才能を武器に、戦い続けた、戦う音楽家であった。 彼もまた戦場のチェリストだったと思う。 小澤征爾さんとの友情から、日本にも縁が深かった。 日本で見せるロストロポーヴィッチさんの表情は、戦いの合間の束の間の平和の笑顔だったのかも知れないと、今になって思う。 素晴らしい演奏を多くの記録に残してくれた業績に感謝を。 武器を持たず戦いに勝利する成功を示してくれた生き様に感謝を。 音楽界が彼を失って落胆するのではなく その音楽的遺産と彼の人道活動に勇気づけられた人々や命によって 将来への希望が開かれることに寧ろ喜びを感じることができるよう 祈りながら。 [自分メモ] Tanglewood Music Festival 2002 Friday, July 12, 2002 8:30 p.m. Koussevitzky Music Shed, Tanglewood Music Festival Celebrating Seiji - The Leonard Bernstein Concert Seiji Ozawa, conductor Federico Cortese, conductor (Bernstein) Mstislav Rostropovich, cello Tanglewood Music Center Orchestra BERNSTEIN Overture to Candide DVORAK Cello Concerto BRAHMS Symphony No. 1 Saturday, July 13, 2002 8:30 p.m. Koussevitzky Music Shed, Tanglewood Music Festival Seiji and Friends Boston Symphony Orchestra Seiji Ozawa, conductor Mstislav Rostropovich, conductor John Williams, conductor Gil Shaham, violin Jessye Norman, soprano Boys Choir of Harlem Marcus Roberts, piano Shostakovich: Festive Overture Takemitsu: Signals from Heaven Williams: for Seiji! Dvořák: Romance for violin and orchestra Dvořák: Roman Carnival Overture Glazunov: Chant du menestrel Gershwin: Rhapsody in Blue 下はロストロポーヴィッチさん演奏のドヴォルザーク・チェロ協奏曲第三楽章 Antonin Dvořák Concerto For Cello And Orchestra In B Minor, Op. 104 第一楽章からお聴きになりたい方はこのリンク先でPart 1からPart 5までどうぞ。
by raphie
| 2007-04-28 09:23
| RosslynVA/Journal
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